BAHCO モンキーレンチの歴史 |ヴィンテージ工具の世界
世界中のコレクターを魅了し、近年日本国内でも盛り上がりをみせるヴィンテージBAHCOの歴史をまとめていきます。
コメント欄を開放しますので、コレクション初心者の方の参考や、マニアの方の情報交換の場としても活用していただけたら幸いです。
第1世代|第2世代|第3世代|第4世代|第5世代|第6世代|コメント欄
第1世代(1892-1915年)
1892年、JPヨハンソンによって最初のモンキーレンチの特許が取得される。
patent No.4066(Sweden)
BAHCO第1世代のレンチは、No.1-6のモデルが存在し、時期によりグリップの形状や長さの違うバリエーションがありますが、フラットなハンドル・スパナの曲がり角度45度は共通しています。アンティークとして非常に価値が高い。
BAHCO第1世代モンキーのナンバリング |
No1,2,2A,3,4,4A,5,6, |
第2世代(1911-1915年)
画像:skiftnyckeln
15度の角度を持つモンキーレンチの特許を取得 Patent No.38643(Sweden)
第2世代は特徴的なハンドル部の意匠ですが、わずか4年の製造期間のため中古市場でも目にすることは稀です。
BAHCO第2世代モンキーのナンバリング |
No51,52,53,54,55,56,57,58 No61,62,63,64,65,66,67,68 |
第3世代(1915-1969年)
第3世代まで時代が新しくなるとヴィンテージ市場で頻繁に見かけます。第1、2世代から続く大きくて特徴的なヘッドのデザインはヴィンテージBAHCOの魅力にあふれています。これよりも後の世代になると現代的なデザインとなって古道具としての雰囲気は損なわれてしまいます。ダブルヘッドやアリゲーターなど変態的なモデルも第3世代での登場です。
BAHCO第3世代モンキーのナンバリング |
No10,11,13,15,30,10B(自転車用タイヤレバー付) No70,71,72,73,74,75 No29/No69 No81,82,83,84,85,86,87 No469,470,471,472,473 No571,572 No20,21 volvo,22,23,30,31,420,431(アリゲーター) No9/10,70/71,71/72,72/73(ダブルヘッド) |
第3世代 BAHCO-CLYBURNモデル(1914-1924年)について
画像引用:WICK STOVE
1914年、JPから特許no.40417を譲り受けたHannes Brynge(息子)は40417モデルに「BAHCO-CLYBURN」と刻印しました。
CLYBURNとは1800年代後半のイギリスに存在し、知名度があった可変式スパナ(スライド部は止めネジ式だったよう)です。
英国へのモンキーレンチの輸出を狙っていたBAHCOは、マーケティング面での好影響を狙ってCLYBURNの名前を付けることにした。
「BAHCO-CLYBURN」と刻印されたモデルはわずか10年間しか製造されておらず高値で取引されています。
第4世代(1954-1983年)
ヴィンテージなデザインの面影を残しつつも、現代的なフォルムに落ち着きつつあります。
BAHCO第4世代モンキーのナンバリング |
No669,670,671,672,673,674,675(1954-1968年) No969,970,971,972,973,974,975(1954-1968年) No0669,0670,0671,0672,0673,0674,0675(1969-1983年) No0969,0970,0971,0972,0973,0974,0975(1969-1983年) |
第5世代(1983-)
エルゴ第1世代 いわゆる普通なモンキーレンチ。
ナンバリングは80XX、80XXの後にCまたはPのアルファベットが付されています。
第6世代(1992-)
新世代のエルゴレンチ。ハンドルにはゴムのようなすべり止めグリップが施され、ヘッドにはスケールが付けられています。
ナンバリングは90XX、90XXの後にC/P/T
モンキーレンチの生みの親
Johan Petter Johansson 1853年12月12日 – 1943年8月25日
世界初のモンキーレンチ(アジャスタブルレンチ)は1892年にスウェーデンに生まれた。
発明者はBAHCOの創設者の一人でもある、Johan Petter Johansson(ヨハン ペタ― ヨハンソン / JPの愛称でも知られる)
スウェーデン西部のヴォーゴーダ(Vårgårda)で小作人の一家の6人兄弟の長男に生まれた。彼の最初の仕事は地元の泥炭工場で蒸気機関の運転助手であった。1873年にヨハンソンは19歳でヴォーゴーダを離れモータラ(Motala)で土工として働き、1874年に軍隊に入隊、その後エンシェーピングのムンクテル社の工場で働いた。1878年にヴェステロースに移り機械工場に職を見つけ、その後近くの工場で鍛冶屋として働いた。
この時にヨハンソンはスウェーデンを離れ米国に渡航することに決めた。しかし以前の雇用主だったムンクテル社から良い条件の仕事を提示されて決意を変えたために渡米は実現しなかった。
引用:wikipedia
モンキーレンチ誕生の背景
その後、1886年に彼はスウェーデンのEnköpingで自分の機械工場を始めました。
彼が修理に出かけるとき、幅広い種類のレンチを運ばなければならなかったが、当時のボルトのいくつかは標準化されていなかったので、適切なサイズのレンチがないことも多かった。
さらに、彼はレンチ一式を買う余裕がなかった。この問題から、1888年に彼はパイプレンチを発明しました。これに続いて、1892年にモンキーレンチを生み出しました。(1892年5月特許取得 Patent No.4066)
BAHCOの設立
JPは彼のレンチを販売するために同じくスウェーデンの実業家BA Hjorth(ベルント ヨルト)と提携しました。彼らはHjorthのイニシャルであるBAHを使い、そして会社を意味するcoを追加し、BAHCOと名付けた。
Bahcoは現在Snap-Onツールによって所有されています。
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